ごあいさつ

弊社は、1902年(明治35年)、名張の地で創業しました。
以来、時代とともに薬局が求められる社会的役割も「モノを売る場」から「情報も提供する場」へ変遷してまいりました。
あふれる情報の中から正しい情報を選別し、提供することは専門職として大切なことだと考えています。
妊婦さんや子育て中の方、ご高齢の方々まで誰もが、「気軽に立ち寄れる薬局」、わからないことがあれば何でも「チョット相談できる薬局」でありたいと思っています。
そんな昔ながらの薬局のスタイルを踏襲しながら、常に新しいことを取り入れ、地域包括ケアの一翼を担うべく皆様の健康のサポートをしていく所存です。
代表取締役
赤井 一彦
会社名称 | 株式会社 赤井薬局 |
創業 | 1902年(明治35年 4月) |
住所 | 名張市鴻之台3番町31 |
代表者 | 代表取締役 赤井 一彦 |
役職 | (一社)三重県薬剤師会 理事 (一社)伊賀薬剤師会 副会長 名賀保険薬局会 会長 |
資本金 | 1,000万円 |
店舗数 | 3店舗 |
従業員数 | 23名 |
沿革
History
事業の沿革(創業からこれまでの経緯)
創業当時、平尾村、旧武家屋敷の地を包括して、地形によって、峡間(はざま)と名付けられていました。今の丸之内、栄町あたりです。峡間在住の赤井虎𠮷が、明治35年に「薬種商免許」を取得し、上横町(現上本町)に店舗を構えたのが「赤井本店」のはじまりです。
もともと名張は商圏が狭く、店頭での小売販売だけでは営業が成り立たないことから和漢薬草の採取や集荷などにも力を入れ、曽爾、室生、山添、美杉村などの農家に依頼したり、自転車や荷車で薬草を買い集めたりして、自店で調製した上で大阪方面の薬種問屋に出荷していたと思われます。
昭和5年、四郎が薬種商免許を取得して業務に就きましたが、戦時下で売るのものがなく苦労しました。昭和27年に法人化後、昭和30年、虎雄が薬剤師免許を取得し、「合名会社 赤井薬局」に変更しました。この頃から処方箋調剤や家庭用麻薬の販売も行われていました。
平成6年に処方箋調剤を主体業務とする鴻之台店、9年には中央店を出店。平成19年に一彦が代表取締役に就任し、株式会社に組織変更しました。平成25年、桔梗が丘店を出店し、現在名張市内に3店舗を有します。
1902年(明治35年) | 名張市上本町に「赤井薬店」創業 |
1952年(昭和27年) | 法人に改組し「合名会社 赤井本店」設立 |
1955年(昭和30年) | 「合名会社 赤井薬局」に商号変更 |
1994年(平成 6年) | 「赤井薬局 鴻之台店」開局(浜口眼科 となり) |
1997年(平成 9年) | 「赤井薬局 中央店」開局(福喜多耳鼻咽喉科 となり) |
2007年(平成19年) | 「株式会社 赤井薬局 」に称号変更 |
2013年(平成25年) | 「赤井薬局 桔梗が丘店」開局(木野整形外科 となり) |